masanoriの「ぼくらの時代、男だけの世界」

男だけだからこそ、お互い腹を割って話せることもある。そんな思いからこのブログを立ち上げました。連絡先:silent.waves2050@gmail.com

異端×正統=伝統

子供の頃から、日本人の団体行動が苦手で、どこか日本とのズレを感じながら生きてきたが、今日は、そんな異端のぼくもまた日本人であり、日本の歴史の中に、そうした人はたくさんいることと、そういう人だから、活躍できたことを列挙したい。

まずは、サッカー日本代表の話になるが、日本代表のしたサッカーでぼくが唯一好きなのが、前回のワールドカップで見せたプレーだ。

ぼくには、日本人が教科書を捨てたように感じられた。

理由としては、ほとんどが海外のクラブチームでプレーしたからだ。日本では、監督の顔を伺う選手が評価されるが、実際にプレーするのは、監督ではなく、選手のため、常に監督の指示待ちでは、臨機応変な早い判断はできない。あのサッカーは、日本からは生まれなかったが、日本人が先天的にもつ資質が、海外でプレーすることにより花開いた好例と言える。

 

音楽の世界でもぼくの好きなYMOYMOチルドレンは、日本の芸能界の異端だ。

異端だからこそ、YMOはチャートの一位はとれなかったが、でも異端だからこそ、今でも沈まず活動を続けているし、

世界からオファーも来る。

後継者のコーネリアスも、日本での評価はele-kingなどの音楽誌や一部の音楽好きを除いて高くなく、海外での評価の方が高い。直近では「mellow waves」のアメリカツアーも成功したし、その後、1997年リリースのアルバム「ファンタズマ」の再演をアメリカから求められて、そのツアーも成功している。日本以上に、アメリカからの評価の方が高いのだ。

日本人は、コーネリアスというと、メディアへの露出が多かったフリッパーズや初期の頃だけあげる人が多いが、世界中の耳の肥えた音楽好きは全く違う聞き方をしている。

 

ぼくの好きな都市はニューヨークで、都市のあり方が日本の逆だ。ニューヨークでは、様々な人種がお互いを妨げることなく、共存している。しかも、日本人のように我慢はしてない。多くの人がオープンハートでありながらも、その状態が保たれているところに、ぼくは驚いた。

ニュースでは、テロなどの負の一面が取り上げられることが多いが、実際にいけば現実がわかる。コロナ後なので、以前と少し違う可能性もあるが、アジア人に対する偏見もほぼない。

だが、現在のニューヨークは以前と少し異なり、東京と同じように消耗都市になってきている。

ニューヨークから出てくるカルチャーの魅力は2010年頃を境に減ったが、それでも、自分にとって、ニューヨークの在り方は一つの理想だ。そのニューヨークの在り方に魅せられ、ここから世界が平和になるのではと思い、写真を撮り始めたフォトグラファーもいるほどだ。

 

日本史の偉人でも、昭和の陸軍の異端、石原莞爾がぼくは好きだ。日本で初めて他の土地に国を作ったり、五族共和という理想をかかげたり、他の日本人がしていないことをしている。五族共和は、どこかニューヨークのあり方と似ている。日本史好きの人でも、石原莞爾のことを知らない人もいるし、知っていても満州事変の人としか捉えていない。人によっては石原莞爾は天才ととらえているが、そう言う人はごくわずかだ。石原莞爾も天才ではありながらも陸軍の異端であったため、こうした考え方は、伝統的に日本の異端なのだろうと思う。昭和史にもしifがあるのなら、一つは、中国利権をアメリカとシェアしていたらということで、もう一つは、東條と石原が組んでいたらということだ。

 

あとは横井小楠も好きで、横井は今日の意見は今日の意見でしかなく、明日はわからないと言い、生涯に渡り、コロコロ意見を変え続けた人だ。あの時代にあって、帯剣せず、敵に追われたら逃げまくっていたそうだ。

住む場所も、広々とした見渡しのいいところを選んでいた。

日本人から見れば、一貫性のない人、信用できない人と捉えられそうだが、船中八策は、横井のアイデアが元になっている。

横井はなんだがテキトーな人に見えるが、坂本龍馬に言わせれば、明治維新の偉人で2人挙げろと言われたら、西郷隆盛横井小楠と答えたそうだ。

西郷が最右翼、横井が最左翼といったところか。

 

右翼と右翼が合わさっても足し算にしかならないが、最左翼と最右翼がどれだけ動いてもぶつからず、平行して進めて、螺旋状になってくると、かけ算になるからこそ、明治の日本はあったと言える。今の日本にいないのは、横井小楠のような愛国心をもった最左翼だ。

 

このように、ぼくは、日本史の異端児たちが好きであり、なおかつ、トップダウンよりボトムアップの方が好きなので、日本型のワンマン経営はどうもネイチャーに合わないのだ。

ワンマン経営では人が育たないし、半永久的に続く人間関係は人生で数人と考えているぼくには、ほとんどの人はお客さんであり、どこかで離れることを前提としているため、たとえばぼくがその場を去っても、その人がそれまでに成長していなくてはいけないと考えている。だから、トップからやらされで何かをするのは、よくないと考えている。やらされで何かをしたら、その分、本人が育たないどころか、むしろマイナスになる。そのマイナスの時間を過ごした心をあとから穴埋めするのは手間もかかる。

そのマイナスがどのように出るかと言うと、外国の取引先から、日本人は本音を話さないとか、その場で注文をつけず後から会社を通してクレームを入れてくるという声よく挙がる。

実際、ぼくが日本人と接していてもそう感じている。

本音を話さない取引先は信用できないし、あとから会社にクレームを入れて、事を大きくしてダメージを与えるやり方は人として最悪であり、もし自分が外国人なら、そういう人とは取引したいと思わないからだ。

それはちょうど、鳩山元首相がtrust meとオバマ元大統領に言った直後に裏切ったのと同じだ。

ぼくも日本全国を引っ越してきたが、全体的に同じような傾向があり、これでは、ルーピーと言われても仕方ないと感じている。

そういうぼく自身もやらされを好まないから、人にも求めないという一面もある。でも、もし、やらせることがあるならば、相手と話し合った上でだ。

日本のように、自分の地位を固めるために、社長になり、引退後も会長になるという考え方はしておらず、アマゾンのベゾズのように、次の宇宙事業へ移ったりする方がむしろ潔い。

同じことを繰り返すのが日本人のいいところだが、間違えると自家中毒になってしまい、時代遅れになってしまう。

年々GDPが下がり続けている日本は、同じことの繰り返しが裏目に出ていると言える。これは時間が経てば経つほど悪化するため、そうなる前に、渡り鳥のように、常に退屈しない場所へ移動していきたい。その方が自分にとっても、国にとってもいいのではないか。