日本人は抽象的思考が苦手だから、今回は抽象的思考について書いてみる。
一つ例を挙げると、元サッカー選手の中田英寿氏が、
今、日本酒をプロデュースすることを仕事にしていて、
変だと感じる方もいるようだが、ぼくからみたら、
どのようにボールを動かせば、ゴールできるかと考えることと、
どのようにお酒を動かせば、売り上げにつながるかという思考の軌跡は、似ている。
つまり、今はサッカーをしていなくても、全く違ったことをしているわけではない。
そして、そもそも、中田氏は、サッカーも日本酒も、好きで始めたことだと思う。
好きなことをしているということでも同じなのだ。
他には、マサチューセッツ工科大学では、
理系なのに、学生が作曲をするそうだ。
そして、作曲能力の高い人ほど、学力も高いという調査結果も出ている。
ほとんどの日本人はここで首をかしげる。
だが、自分の中で鳴っている曲をコンピュータや楽器を使って、
具体的に曲にしていくのと、自分の中にあるアイデアを形していくのは、似た行為なのだ。
だから、作曲能力と学力は相関性があるのだ。
日本人はランキング思考から抜け出せないので、
学問やリベラルアーツのジャンルに優劣をつけることにのみ拘るが、
その優劣にさほど面白味はなく、
異なるジャンルの組み合わせが面白いのだ。
具体的次元では、全くつながりのないことが、抽象的次元では重なりうるから、
異なるジャンルの学力の相関的向上が生まれるし、
新しいものが生まれたり、イノヴェイションも起こりやすくなる。
抽象と具象は、英語で言えば、aとtheの違いであり、誰もが日常的に使っているが、
日本語にはもともとない概念のため、日本人には理解不能だとぼくには感じているし、
説明しても伝わらないこともすでに知っている。
ただ、若いうちに、アジア圏以外に出たことがある人は、
抽象的次元が視野に加わることが多いため、
こうした話も伝わりやすいこともわかっている。
だから、若いうちに外で飛び出し、抽象と具象を行き来できるスキルを身につけるのは、
かけがえのない経験になると思う。
抽象的次元の方が、自由度が高いため、頭も以前より柔らかくなると思う。
日本では、音楽でも、ミュージシャンが政治を語るなという人がいるが、
音楽の一番いいところは、音楽が音の連なりである以上に、
そして、歌詞が言葉の連なりであること以上に、
アーティストが自由に自分の心を表現できることなのだ。
心を音像化しているので、その時、政治に対して反抗心が、あれば、
レベルミュージックが生まれて当たり前なのだ。
そもそも、どれだけ録音が良くても、曲自体の完成度がある意味高くても、
自由なスピリットが感じられない音楽なんて聞けたものではない。
そして、それはJ-POPに多い。
それはそのまま、今の日本人の心を表している。
繰り返すが、大事なことは、抽象的な次元で、無意識に湧き上がってきた想念を、
自由に具現化していくことなのだ。
世界の中では、東アジアのエリアは、個人の自由より、集団を優先する人が多い。
そういう土地柄なのは受け入れるしかないが、
それでも、日本人は、自由の価値そのものを否定しすぎだし、
抽象的な話になると、全く論理的に話せなくなる人が異常に多い。
それは知的に劣っているし、20世紀に大量生産された大衆でしかない。
これからは、日本も民衆主義から、民主主義へ。
もう大衆の時代は終わったのだ。
こういうことを言うと必ず、
小林秀雄の「美しい花があるのではない。花が美しいのだ。」という言葉を引用して、
反論する人がいるが、それは間違っている。
先人を越えることが、現代人の先人へのマナーなのだ。
先人が築き上げた世界から、ぼくらは産まれている。
だから、先人の次に行くこともできる。
先人をもし越えなかったら、それは何もしてないことと同じなのだ。
あなたが無名でも有名でも、先人の後から生まれてきている以上、
スタートラインが有利なのだから、先人より優れているとも言えるのだ。